前回の精神的続編。革鞄は買わないと言っていたが、あれは嘘だ。幾度となく原宿の工房に通って選び抜いた一品が先週末、約2ヶ月の歳月を経てついに完成と相成った。この鞄には使う前にして僕のライフスタイルが詰まっている。なぜなら来る日も来る日も、工房のありとあらゆる鞄に携行品を出し入れして検討を重ねてきたからだ。そこには永久の課題が存在する。”僕は一体なにを持ち運べば事足りるのか?”
人によってはこの問いは愚問である。常に巨大なリュックサックを背負い、一切の荷物を受け入れられる大人物に引き算の理屈はない。たとえ中に半年に一度も使わない道具があったとしても、いざという時に役立てばそれで良しと鷹揚に構えられるのならどこにも差し障りはない。
他方、僕は持ち物にややシビアな性格だ。使わないかもしれないものを持つのは重さや大きさにかかわらず我慢ならない。かといって手ぶらで都市という名の戦場に赴くほどの武士(もののふ)ではない。最低限の装備は持っていきたい。プライベートにおいて、季節や状況によらずなにが必要にして十分な携行品なのか――鞄を選ぶにあたり、僕はずっとこのことを考え続けた。
まず、ラップトップを切り捨てる
僕はパソカタの民だ。寝ても覚めてもパソコンをカタカタしている。なのでつい鞄にラップトップを忍ばせてしまう。当ブログをご覧の皆さんも多分に漏れず同類に違いない。だが、出先で心からパソカタに専念できる人は意外に稀だ。もとより外でカタるのが目的でなければ自宅こそが最高の環境なのに、わざわざ変な場所でパソカタする必要はない。
ともすればちょうどよくパソカタできて助かった、というよりは、せっかく持ってきたからには使わなければ、などと転倒した観念を抱えてしまっている場合も少なくない。用事がないならさっさと家に帰るなり、他の暇つぶしの方法を確立させた方が有益だろう。
そこで、僕はまず携行品からラップトップを切り捨てた。これだけでA4サイズ以上の鞄を軒並み選択肢から除外できるし、そもそもそのサイズの鞄は革製以外のものをもう持っている。(後述)なにしろ革鞄はA4サイズ級となると非常に重い。鞄単体で1kg以上は当たり前の世界観だ。ナイロンや布と比べて数十年単位で長持ちする利点を踏まえても、重すぎることは必要にして十分とは言えない。携行品と同じく鞄自身にもそれは問われる。
革の種類
革にも色々ある。男物の革鞄にはブライドルがよく使われるが、コードバンの採用例も珍しくはない。光沢が際立つ方はざっくりコードバンと見て差し支えない。僕はこれら有名どころの革を今回避けて通った。理由は高級すぎるからだ。普段遣いの鞄にはもっと野性味を反映させたい。
そういう意味では革探しの中盤以降でHerzに的を絞ったのは正解だと思っている。ここはラフな扱いに向いた革を中心に扱っており、油断するとインディージョーンズ的な場違い感が出てしまうもののうまく選べば質実剛健な一品に出会える見込みが大きい。現に選んだ鞄はHerzのサブブランドであるOrganのショルダーバッグだった。
ちなみに、この鞄にはリバースというイタリアンレザーが用いられている。説明通り、傷や皺にまみれた独特な風合いを持つ。伝統的なバケッタ製法により革に含まれるオイル成分が多く、手入れの必要がほとんどないところも普段遣いに適している。
必要にして十分な携行品
鞄、とりわけショルダーバッグの類は携行品を高速に出し入れするクイックスロットである。必要な時に必要な得物を適宜取り出せなければ鞄の能力を活かしきれていない。純粋に荷物を持ち運ぶことが主目的なら鞄ではなくリュックサックを選ぶべきだ。事実、僕はそういう用途のためにグレゴリーのリュックサックも持っている。
そのように前提を置いた時、鞄の中身は携行品を入れてなお多少余っているくらいが望ましい。乗車率100%の電車より70%の方が乗り降りが楽なのと同様に、鞄もいくらか余白を持て余している方が荷物を取り出しやすい。ましてや携行品を山のごとく立体的に詰め込むのは携行しているうちに入らない。それは他ならぬ収納であり、すなわちリュックサックの領分に踏み込んでいる。
以上を鑑みて、僕の携行品は上記の形に集約されている。小物入れ、Kindle、モバイルバッテリー、財布、そして水筒だ。モバイルバッテリーは外出予定時間が半日未満なら持ち物から除外される。小物入れにはティッシュや家の鍵、リップクリーム、粒ガムなどが入っている。スマートフォンはパンツのポケットに装備するため鞄の中には入らない。これらに僕の日常を代表させると定めた。
中でもKindleは特に重要な装備だ。無意味極まる電車の移動時間を有意義な読書時間に兌換しうる奇跡のコンバータであり、電子雲から無尽蔵に降り注ぐ本を受け止める魔法の神器でもある。昔は想定外の読了に備えて時に2冊も持ち運んでいたものだが、今や本当に良い時代になった。電子書籍なら本のサイズもまったく問題にならない。
対して、水筒を「必要にして十分な携行品」に加えていることに違和感を持つ人もいるかもしれない。見るからに専有容量を広くとっているからだ。しかし、適切な水分補給は人間の健康的な活動には欠かせない。どのみち自販機に100いくらか円を投じるのなら最初から携行品に加える方が手っ取り早い。僕のお気に入りの水筒は保冷も保温もできないが、100g前後の軽さで見た目もかわいい。
なお、この革鞄は背面にもささやかなポケットが付いている。意図して備わっているものを選定した。現状では除菌シートを入れているが、小物入れをこっちに移すべきかと思案している。ここまでの熟慮ですでにショルダーバッグのクイックスロット性は相応に高められているものの、秒単位の発動が求められる状況下ではこういう特殊な余白がかなり役に立つ。
シルエットの難しさ
言うまでもなく鞄はファッションの一部に含まれる。携行品がしっかり入り、出し入れに不自由がなければなんでもいいなら革製の鞄を選ぶ理由はない。むしろ内ポケットの豊富さを考えたらナイロンや布製の方がずっと良い。あえて革鞄を選ぶのは本革の質感を自己の輪郭に取り入れるためだ。
さて、ところが――これは革鞄にかぎった話ではないが――いざ気に入った鞄が見つかっても、身につけた際のシルエットが合わない状況が往々にして発生する。背丈に対して鞄が小ぶりすぎると矮小で神経質な印象を与えるし、逆に大きすぎると大雑把で野暮ったい感じがしてしまう。僕が思うに、成人男性相当の背丈に一番合うのはA4サイズだがそれはついさっき切り捨てたばかりだ。
初手で無難な選択肢を外してしまった以上、ここは自分自身でどう折り合いをつけるか姿見を凝視しつつ決めるしかない。僕は数センチ単位で色々な鞄を試して地道に検証を繰り返した。結果的に納得のいく品物が見つかったが、さもなければ今でも鞄を探し回っていただろう。
右側は物理出社用にも愛用しているA4サイズの帆布鞄だ。当然、ラップトップも入る。こうして並べてみるとまるで素材違いの姉妹みたいで、さほど容量に差がなく見えるが実際の体験は大きく異なる。利便性の面では外側はもちろん内側にも2つのポケットを備える帆布製の方に軍配が上がるが、鞄自体の質感、満足感では革製が他のすべてを追い抜く。
最後に、上の画像を見てもらえば分かるように僕の鞄にはどれもジッパーがついていない。革鞄はギボシ留めだし、帆布の方はボタン留めだ。ジッパーは収納の文化なのでセキュリティの面からもリュックサックには付いているべきだが、クイックスロット性が要のショルダーバッグにはなくてもよいと僕は思う。好みが別れるとはいえクラシカルな留具にはデザイン上の利点もある。
おわりに
これまで書いたように人の携行品にはその人のライフスタイルや生き方が反映されうる。なにを持っていくと嬉しいか、嬉しくないか、各々の選択の結果が鞄の中身を通して表現される。そこからは当人の試行錯誤の積み重ね、ある種の教訓めいた文脈をも感じとることができる。
持ち主にとってもそれは変わらない。真に厳選されし研ぎ澄まされたロードアウトが過不足なく役割を発揮した時、自ら生み育てたモノリシックな意思にますます自信を得られるだろう。一連の営為が最終的に鞄の姿形を決定づけると考えれば、実は鞄そのものが僕たち自身の表現形の一つを為していると言っても過言ではない。