点と接線。

文章創作を支えるVimプラグインたち

主に日本語しか書かないならVimより適したエディタは他にたくさんある。誠に遺憾ながらその点は認めざるをえない。それが文章創作ともなればなおさらそうだ。今時分はnovel-writer という大変優れた小説執筆用のVSCodeエクステンションも存在していて、もう全部VSCodeでいいだろみたいな風潮になりつつある。マルチプラットフォーム対応で設定も同期可能なので環境も選ばない。だから僕とて、もし「小説を書くのにおすすめのエディタはありますか?」と訊かれたら、相手がコードも書く人かLinuxユーザなら「VSCodeにnovel-writerを入れるといいよ」と答えるし、違うならMery(Windows)とかCotEditor(Mac)とか、そういうのを勧める。別にWordでもPagesでも秀丸でも全然いい。村上春樹はegwordを使っているらしい。とにかく、間違ってもVimを勧めたりはしない。縦書き表示もできないし。

Overwritten

 あまり記憶には残っていないけど、私は幼い頃に一度死にかけたらしい。なにかに気を取られやすい質だった私はその時、するっとママの手をすり抜けて車道に飛び出した。いくらなんでも車が危ないってことは当時の私にも解っていたはずなのに、今となってはそんなに気になったものがなんなのかも分からない。次の瞬間、横からすごい力で吹き飛ばされて、すぐに目の前が真っ暗になって、目が覚めたら真っ白な部屋のベッドで寝ていた。パパとママと知らない人たちが周りにたくさんいて、目が合った途端に抱きしめられた。癇癪を起こした私よりも大きな声で泣き叫ぶ二人の姿はよく憶えていて、それが数少ない残っている方の記憶だった。「じゃあ、これは?」「りんご」「よくできました。じゃあ、これは?」「バナナ……でも、色が変だね」「そう、そう。これはまだ赤ちゃんのバナナなの」「私もあかちゃんって呼ばれる。あかりだから」起きてからしばらくは、笑顔が得意な大人の女の人と一緒にいた。彼女がシート端末をこちらに向けて、指先で押すと絵が表示される。私はそれがなんなのか当てなければいけないようだった。結果的に一度も外した覚えはない。分からなくても女の人がヒントをくれたからだ。そんな療養生活を繰り返しているうちにパパとママが迎えにきて、私は家に帰った。家に帰ると、いつもと同じ部屋にいつもと同じおもちゃがあって、とても安心できた。

Neovimの見た目を削ぎ落とした

Lua化が一段落ついたら今度は細部の外見が気になってきた。どんなに些末な内容でも一旦そっちに気を取られると直すまでなにも手がつかないってよくありがちだ。僕はもう手遅れだが、せめて他の誰かの時間を節約せしむることによって名誉の回復を図りたい。Neovimの角ぜんぶ四角くする 近年のOSはどれもウインドウの角が丸くなっている。おそらく最初にやりはじめたmacOSはもちろん、Windowsもどさくさに紛れてちゃっかりまた丸まってる始末だ。きっとソフトウェア工学にもなんらかの安全基準が設けられたのだろう。角を丸くしておかないと怪我をするかもしれないからな。指とか。iOSやAndroidに至ってはそもそもスマートフォンのディスプレイ自体が角丸で作られているから、おのずと丸くならざるをえない。

Neovimを完全にLuaLuaさせた

前回の記事 の続編にして最終章の幕開けである。ついにinit.lua化は果たされ、主だったプラグインはどれもLua製に置き換わった。プラグイン総数が50前後しかないカジュアルユーザの僕でも丸一日かかったがやるだけの価値はあったと思いたい。今や業務以外ではエディタをVim一本に絞りきれるところまで馴染んだ。主流のプラグインマネージャがNeoBundleの時代からVimに触れてきた割にはずいぶん手間を食ったものだ。「Vimはサブ武器です」と尻込みしていた頃とはうってかわり、Vimはもう僕のメイン武器となった。