2023/05/05

メールサーバ再考

以前にこういう話があった。かいつまむとVPSの運用を放棄したために他のメールサーバを探さなければいけなくなったのだ。僕はすでに独自ドメインのメールアドレスを12年以上運用しており、今さらGmailなどのフリーメールに鞍替えする余地は残されていない。そこで、前回の時点で最終的に選んだホスティングサービスがmailbox.orgというところだった。

このサービスの嬉しさは価格が圧倒的に安いことだ。わずか月額1ユーロでIMAP/POPアクセス可能、かつSPF/DKIM/DMARC対応。要するにSparkやThunderbirdといったメールクライアントから利用できて、重要なセキュリティ関連の認証にも対応している。とりわけ後者は必要不可欠だ。グレーの公衆電話でインターネットをしていた時代ならいざ知らず、今時これらに未対応のメールは即刻迷惑メールボックス送りにされても文句は言えない。

逆にオンラインストレージだとか、ウェブ会議ツールだとか、オフィススイートみたいな代物は一切いらない。どれも間に合っている。業務で使う分はどのみち会社が用意する。そういうわけだから僕の望みは、メールサーバをホスティングしてくれて、メールの中身を読んだり個人情報を詐取したりせず、先に挙げた機能に対応していて、安ければそれでいい。mailbox.orgは条件を完全に満たしていたし、僕は一生これで構わないと思っていた。

ところがmailbox.orgが先週告げてきた”オファー”ときたら、まるで僕に逆張りを仕掛けたような内容だった。文面はやたら丁寧でもとどのつまり 「便利な機能を使わせてやるから月額3ユーロのプランに移行しろ」 という話だ。僕にとっては意味もなく3倍の値上げを呑まされるのに等しい。

よって、僕はメールサーバの移行先を再考しなければいけなくなった。結果的には最良のホスティングサービスと出会えたが(結論だけ知りたい人は末尾にスクロールすればよい)、せっかくなので検討した他の選択肢についても時系列順に記しておこうと思う。

VPSに戻る

この選択肢は頭に浮かんで1分以内に消えた。そもそもなぜ以前にVPSごとメールサーバの運用を放棄したのかといえば、普通にめちゃくちゃ面倒くさいからだ。インフラ知識を身に着けたい学生や初学者にはむしろうってつけの取り組みでも、いざ知見が固まって長期の運用フェーズに入ると様々なコストが重くのしかかってくる。数年ならともかく10年単位となると相当に気が滅入る。

実際、僕もいくつか自業自得のインシデントを発生させてしまったことがあり、一度はメールサーバを乗っ取られて踏み台に使われた苦い経験を持っている。しかもこの時は間が悪く、引っ越し直後で自宅にインターネット回線が引かれていなかったため、問題の把握に一日単位での遅れが生じた。

当然、その間に僕のメールサーバを経由して送られたスパムメールの量は3桁単位では済まない。あと少し対処が遅れていたら各種のデーターベースに迷惑ドメインとして登録されていたかもしれない。こういう黒歴史も若いうちは話の種になるが、今となってはさすがに勘弁してほしい。

ちなみに、1分足らずとはいえ頭に浮かんだ理由は「分散型SNSのインスタンスを建てるついでに……」とかいう発想がよぎったせいだ。冷静に考えなくてもオーバーワークすぎる。

Apple One

僕はApple TV+に加入している。全作オリジナルという気合の入ったコンセプトが売りの動画配信サービスで、作品のクオリティも言うだけあって非常に素晴らしい。Apple曰く、月額900円のこのサービスに300円足すと「Apple One」なる統合プランに入れると言う。そこには独自ドメインのメールホスティングにオンラインストレージが付属したiCloud+と、Apple Musicまでもが含まれている。

ということは、契約中のSpotify Premiumを解約して移行すれば差し引きで得をする計算になる。それはとてもいい話だ。Linuxユーザの僕はおそらくApple Oneのサービス群を中途半端にしか利用できないと思われるが、それでも用は足せるだろうしApple MusicにはCiderなる優れたサードパーティクライントも存在している。これはFFに教えてもらった情報だが、加入を決意する後押しになった。

しかし、そうは問屋が卸さなかった。Apple TV(Apple製のセットトップボックス)からApple Oneに加入できないのである。現に加入可能な導線が用意されているのに、進めようとすると接続エラーが発生する。この件についてのAppleサポートの回答は「Apple OneはiPhoneかiPadかMacからの加入を前提としている」というものだった。じゃあなんでApple TVから加入できそうな作りになってるんだ。

そもそも僕の認識ではハードウェアの仕様がどうあれ「こっちでApple IDを操作して加入させますね」で片付くような話と考えていたが、これもどうやらサポートの権限では無理らしい。Apple OneがiPhone/iPad/Macユーザに限られた特別な優待プランというのならそれはそれで納得するけども、その中にApple TV+やApple Musicをホームシアターシステムで視聴するために作られたであろうApple TVが含まれていないのは理屈に合わない印象を受ける。

ともあれ、この件は「ゴールデンウィーク明けに上役に確認してみる」との形で一旦終了した。だが、後でiCloud+の詳細を調べてみると、独自ドメインもiCloud側のドメイン(@icloud.com)のエイリアスとして動作する奇妙な実態や、こんな報告が目についてすっかり加入する気が失せてしまった。Ciderの出来も優れてはいるものの、やはりSpotifyの公式クライアントには及ばない。

結局、額面上の利益と引き換えに我慢しなければいけない点が多くなりそうだ。もっとも、AppleからすればLinuxユーザの分際でサービスを満足に使おうと企む方がよほどおかしいのであって、どうせ反り合わないと薄々解っていて挑んだ僕も大概悪かった。

Proton

Protonはメールホスティングに加え、オンラインストレージとカレンダー、VPNも提供している統合型のサービスだ。メール単体なら月額約5ユーロ、全部まとまった最上位プランは月額約12ユーロで利用できる。評判がすこぶる良いので品質は優れているのだろうが、いくらなんでも価格が高すぎる。

僕はすでにMullvad VPNに月額5ユーロ払っているので、ここに移行すると差し引き約7ユーロでLinuxユーザにも優しいメールとVPNとオンラインストレージとカレンダーが手に入る計算になるが、先に述べた通り後ろ二つはマジで要らない。かといってメール単体のプランも高いことには変わりない。

そりゃあいざとなれば月額12ユーロくらい払えるけども、ただでさえ僕は各社の動画配信サービスを網羅的に契約している。なに一つ打ち切るつもりはない。これ以上のサブスクはできれば控えておきたいのが心情だ。Netflixはどんどん値上げしているし、Disney+も値上げするらしいし、噂ではHBO Maxが日本に来るとの話もある。これらはホスティングサービスと違って替えがきかないゆえ値上げを呑まない選択肢がない。

そこへいくと、Protonがいかに秀でたサービスだとしても月額約5ユーロ、12ユーロなどという価格帯はなかなかに受け入れがたい。今後、ライフスタイルが変化すれば検討の余地はなくもないが、現状では手が出ない高級サービスであると判断した。

Tutanota

セキュリティを理由に専用クライアントを強制されるのが好かなくて候補から外したものの、殊ここに至っては選択肢に戻さざるをえない。なんといっても月額1ユーロは魅力的だ。が、実際に専用クライアントを試してみるとかなり険しい出来だった。たとえめちゃくちゃ優れていてもそれしか使えないのは嫌なのに、出来も芳しくないとなるといよいよ厳しい。

昨年末になんとか対応したようだが以前はメールの一括インポートすらできなかったらしく、どうやらTutanotaは他の機能を後回しにしてでもセキュリティを最優先する開発方針を採っていると見られる。となると、今は気づいていなくとも移行後になって「あれがない」、「これがない」となる懸念が拭えず、文句ばかり垂れて誠に申し訳ないが僕の需要を満たしきれない可能性が高い。

フリーメールアドレスが欲しい人には悪くないのかもしれないが、それならそれでProtonの無料プランの方がずっと豪華な機能を提供している。残念ながらTutanotaは高度なセキュリティの代償に競争力を犠牲にした質素すぎるサービスとの見立てが僕の中では有力だ。

Zoho Mail

結論を述べるとこれが完璧だった。1ヶ月あたり120円でIMAP/POPアクセスが使えて、かつSPF/DKIM/DMARCにも対応している。なにも足さず、なにも引かない。まさに求めていたサービスだ。1996年創業で日本法人も設置されているからちょっとやそっとでは潰れないだろう。国内にデータセンターが置かれているおかげかmailbox.orgより送受信も速い。

登録後のナビゲートもよくできている。サービスによっては独自ドメインの適用に必要なDNSレコードの情報があちこちに散らばっていたり、いまいち要領を得ない謎文章と格闘させられたりする場合が少なくないが、Zoho Mailではウィザード形式で示される情報をコピペしていくだけで大半の設定が済んでしまった。

同様に、ドキュメント類も充実している。IMAP経由のアクセスで認証エラーを吐くので試しにググってみたところ、すぐに期待に沿った公式ドキュメントが出てきた。 しかも機械翻訳じゃないちゃんとした日本語だ。 恥ずかしながら聞き覚えのない企業だったが、全社員にハグをして回りたいくらい好きになれそうだ。

今ではメールのインポートも済ませて、いつも通りに使えている。ひょっとすると実は類似のサービスが他にもゴロゴロしているのでは、と疑って調べ直したがこれほどの好条件を備えた事業者は他には見当たらなかった。ProtonやTutanotaほどセキュリティ重視ではないとはいえ、僕にとってはそう不足も感じない。したがって、今回はZoho Mailがメールサーバの新たな定住先に決まった。

まとめ

独自ドメインのメールアドレスは長く使うと自分の住所以上の価値を持ちはじめる。SNSアカウントはもちろん、現実の住所でさえも永続的ではないが――僕はここ10年間のうちに2回引っ越しをしている――メールアドレスは意図せずには変わらない。イーロン・マスクの都合に振り回されるTwitterアカウントや、現実の都合に左右される現実の住所と違って、独自ドメインのメールアドレスは所有者が意図しない限り永遠だ。

しかしその永続性もメールサーバの安定稼働なくしては意義を持ちえず、いかなる経済的状況に晒されようとも確実に維持できるサーバはより望ましい。ある意味でメールとは自身をインターネット上に存在させるための、最小限かつもっとも価値中立的なインフラと言えるのだ。

そのように考えると、貴重なゴールデンウィークを丸一日潰してメールサーバを探したのは決して無駄ではなかったと自分に言い聞かせることができる。メールサーバ最高!(再考とかけている)

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