ようやくSwiftに馴染んできたと思ったら次の案件はFlutterだと言う。まだ具体的な時期は決まっていないが今年中の話には違いない。面接で「あらゆる技術領域にチャレンジしたい」などと自信満々にアピールしたことがボディーブローのように効いてきている。とはいえ、良い話もある。SwiftでのiOSアプリ開発はXcodeの使用が絶対条件だがFlutterはVimで書ける。Xcodeを使うとしたらビルド周りの設定をする時だけだ。その上、よほど込み入った作りでなければ共通のコードでAndroidアプリも開発できるため受託側としては工数が少なく非常に都合が良い。いちコーダーとしては、単純なモバイル案件は全部FlutterかReact Nativeで受ければいいじゃんと感じてしまうがそうもいかない事情があるのだろう。
2003年のある夏の日。僕はいつものように本を読みながら下校していた。人も建物もまばらな田舎町の通学路は足が覚えている通りに歩き続けるだけで家に着く。時折、足の裏に意識の一欠片を分け与えると、じきに靴底が土くれを踏んでいる感触を伝えてだいたいどの辺りを歩いているかが分かる。道中に道路が未舗装の区間があるため、そこまで来れば半分は歩いたことになる。たとえ東北の寒村であっても夏は蒸し暑い。6時間授業を終えた後でも、未だ空高く昇りつめた太陽がじりじりと首筋を焼き焦がして汗腺を刺激する。してみると、これはずいぶん不公平な話に思える。日本中どこもかしこも暑いのだから東京の子たちと同じく夏休みも8月31日まで続いてたっていいではないか。だが、事前に配られた冊子は今年も例年通り僕たちの夏休みが遅く始まり、より早く終わる過酷な事実を容赦なく告げてきた。
前回 の精神的続編。革鞄は買わないと言っていたが、あれは嘘だ。幾度となく原宿の工房に通って選び抜いた一品が先週末、約2ヶ月の歳月を経てついに完成と相成った。この鞄には使う前にして僕のライフスタイルが詰まっている。なぜなら来る日も来る日も、工房のありとあらゆる鞄に携行品を出し入れして検討を重ねてきたからだ。そこには永久の課題が存在する。”僕は一体なにを持ち運べば事足りるのか?”人によってはこの問いは愚問である。常に巨大なリュックサックを背負い、一切の荷物を受け入れられる大人物に引き算の理屈はない。たとえ中に半年に一度も使わない道具があったとしても、いざという時に役立てばそれで良しと鷹揚に構えられるのならどこにも差し障りはない。
先週の土日はまことにファックネス(ファックの抽象名詞)であった。オフィスで蔓延していた喉風邪の煽りを受けて療養を余儀なくされていたのだ。子どもの頃は居間に布団を敷いてもらって普段は観られない平日のテレビ番組や映画などを楽しんだものだが、なぜか今はそううまくいかない。話がてんで頭に入ってこないのである。あるいは、もしかすると在りし日の少年陸王は話の内容を捨象して映像の動きだけを追っていたのかもしれない。昔も今もカメラワークにうるさい性格だった。それはともかくとして、日曜日の昼あたりには体調不良なりに映画を観てもよい体制が整っていた。こういう時に観る映画はとことん過激なものでなければならないと僕の中では決まっている。