実はこないだから日記をしたためていた。このブログとは別の、紙にペンで書く方だ。毎日、手近なメモ帳に300文字ほど書きなぐっている。なにかを始めようとする時、やたらと形を整えるのはあまり良い筋ではない。モチベーションを行為ではなく形式に委ねてしまうと、その枠から外れた途端に継続力を失うからだ。一ヶ月ちょっと経ち、もともと使い古していたメモ帳を使いきった。改めて読み返すと、日を追うごとに文面がやや長く技巧を帯びているのが分かる。なにしろ手書きはundoが効かないので、当初は書き損じを倦んで平易に表現せざるをえなかったのだ。だが、何週間も文字通り手を動かしていたおかげで指先と脳の間の経路が潤滑されたらしい。だいぶましになってきている。
前回 の精神的続編。たぶん旧作ファンに怒られる方の。一度決めたコンセプトを覆すのは辛いものだ。ある日、通勤用に愛用していた布鞄 が裂けた。ラップトップが入り、他の携行品もぴったり収まる上に可愛い、すばらしい鞄だったのにここへきて弱点が露呈してしまった。誓って言うが直接なにかを当てたり擦ったりはしていない。上の画像は内側の左端だが右端もほぼ同様の有様だ。もちろん補修はできる。せっかくなら裁ち革を用いた修繕を試そうと思い、すでに革素材を発注している。だが、どんな素材を用いようとも状況からみて応力が端に集中している以上、通勤用途にはもはや耐えられそうにない。今後は予備や雨天時など他の身の置きどころを考えてやる必要がある。
前回 の精神的続編。革鞄は買わないと言っていたが、あれは嘘だ。幾度となく原宿の工房に通って選び抜いた一品が先週末、約2ヶ月の歳月を経てついに完成と相成った。この鞄には使う前にして僕のライフスタイルが詰まっている。なぜなら来る日も来る日も、工房のありとあらゆる鞄に携行品を出し入れして検討を重ねてきたからだ。そこには永久の課題が存在する。”僕は一体なにを持ち運べば事足りるのか?”人によってはこの問いは愚問である。常に巨大なリュックサックを背負い、一切の荷物を受け入れられる大人物に引き算の理屈はない。たとえ中に半年に一度も使わない道具があったとしても、いざという時に役立てばそれで良しと鷹揚に構えられるのならどこにも差し障りはない。
僕の新しい職場は田町にある。三田、港区と言い換えた方が通りがいいかもしれない。週の半分ほどここに通勤するたび、いかにも毛並みの良さそうな慶應義塾の学生や東京工業大学附属科学技術高等学校(権威はしばしば名前の長さや画数に宿る)らしき生徒たちの群れとすれ違う。その時、薄暗い身分に生まれ落ちた自分が迫りくる才気の波に削り落とされ、人混みをくぐり抜けた後には骸と化しているのではないかと恐怖に駆られる。洗車機は巨大なブラシで車をピカピカに磨いてくれるが、自分が汚穢そのものだとしたら残るは無垢な白骨ばかりと相成る。