この悪癖は僕の人生にけっこうな厄介をもたらしてきた。表題通り、叱責されるとあくびが出る。誓って言うが、別に相手をなめてかかってはいない。等身大の自省は備わっているつもりだし、反抗を態度で示すつもりもない。にも拘らず、どういうわけか叱られるとあくびが出る。
恐るべきことにこの悪癖はどんなに努力してもなかなか止められない。気がついたらおのずとあくびの体勢をとっている。奇跡的に寸前で留めたところで、既に口は開いている。相手からしたら呼吸していようがしていまいが格好としてはあくびそのものだ。こいつ、生意気にもあくびなんぞかいていやがる。ふざけやがって。こんな具合に余計な怒りを買った経験はもちろん一度や二度では済まない。
前提として、われわれがいま認識している「表現の自由」とは実質的に市場原理に基づくものであり、率直に言えば能力主義の産物である。
もし「表現の自由」が単に束縛を受けずに喋ったり書いたりできれば満たされうるのであれば、たいていの専制国家はそれを実現することが可能だ。誰もいない空室とか、閉じられたネットワーク環境でのみ表現を認めればよい。今風に表すと「壁打ち」だけ許せば事足りるということになる。
もちろん自由主義国家に住まうわれわれが認識する「表現の自由」はそんな程度の代物ではない。街中で、出版で、オープンなインターネットで、時には嫌がるであろう人の鼻先にさえ、それを突きつける機会までが約束された権利だと確信している。空間を共有する誰か一人でも苦言を呈したら即座に撤去などとなればほとんどの表現は公開できないからだ。「見せる権利」は「見ない権利」を明らかに上回っている。
原宿の竹下通りには神社がある。竹下通りからどこかに向かって歩いて徒歩十数分、とかではない。まさに街の中心に神社が存在する。
JR原宿駅の竹下口から降りると、すぐ目の前がかの有名な竹下通りである。Kawaiiと雑に総称される文化がそこかしこに輝き、通りの両面にはクレープ屋、キャンディ屋、割と新顔の韓国フードを扱う店などが立ち並ぶ。いつ行っても通りは人間という人間であふれかえり、牛歩のごとき歩みでしか先に進めない。人々の発する嬌声が街の活気を象っている。
日本國政府による個人情報切り売りキャンペーン が目下実施中である。なんでもマイナンバーカードと呼ばれる特に使い道のない板切れを取得した後、健康保険証と銀行口座情報を献上すると畏れ多くも最大2万円分のマイナポイントが下賜されると言う。マイナポイントはPayPayをはじめとする各種決済サービスのポイントと交換することができる。すなわち仮想の諭吉と英世だ。
僕はマイナンバーカードの取得を条件に得られる5000ポイントを既に拝領済みだったため、今回の事業で新しくもらえるマイナポイントは15000ポイントまでとなる。日頃、Arch Linuxとかいう異常者専用ディストリを常用し、公共Wi-Fiに接続する際はVPNを欠かさない程度には自由とプライバシーに敏感なのに、わずか15000円ごときであっさり個人情報を明け渡してしまうのだから文字通り現金なものだ。