経緯 ターミナル周りのことであれこれと試行錯誤していたのも今は昔。近頃はKDEを入れるついでにKonsole も追加しておく手癖が身についてしまい、気が付けば最近のターミナル事情にすっかり疎くなっていた。Linuxはもともとターミナル文化が根強かったせいか、今さら新顔が幅を利かせる余地などないとたかをくくっていたのかもしれない。聞けばAlacritty というターミナルエミュレータがミニマルで快適だという。なにげにマルチプラットフォーム対応でWindows版もリリースされている。設定はテキストファイルのみで行うので煩雑なメニュー画面に惑わされることもない……なるほど、なかなか良さそうじゃないか。
前置き 未成熟な少年少女たちが文明から隔絶した環境で奮闘するさまは、それ自体が独特の芳香を放っている。そこには分別の行き届いた大人の理屈を軽々とすっ飛ばす爽快さと背中合わせのもどかしさ、計画に裏打ちされない行きあたりばったりの邪悪さ、脆く壊れやすくもあり、同時に修復されやすくもある刹那的な人間模様……などが、渾然一体となって詰められているのだ。本作は巻末の訳者あとがきで既に一定の解説が為されており、キリスト教的なモチーフが用いられていることや、ある種の寓話的性質の色濃さについて言及されている。従って、今さら同様の筋からアプローチしても単なる繰り返しにしかならないので、本エントリではもっと地に足の着いた素朴な難癖に重点を置きたいと思う。
もうじき三十路に達するともなれば、やはり肉体の健康が気がかりになってくる。思えば、数年前にダイエットを始めて十七キロもの減量に成功したのも、肉体に関する同様の懸念からだった。カロリーを基礎代謝近くまで制限すれば当然、体重は減る。だが、減るのは脂肪だけに留まらない。よっていたずらに筋肉を減らさぬよう筋トレにも励むべし――各種の能書きが異口同音に言っていたのは概ねこんな具合の内容である。しからば、とばかりにさっそく腕立て伏せをやってみると、おかしなことにただの一回たりとも満足にできない。能書きは、初心者は膝をつくとよい、と優しく付け加えた。ところが、膝をついてもやはり十全にはこなせない。二回もやれば腕が震えてくる。肉体の衰えが実感として襲いかかってきたのはこの時だ。
前置き キャラクター商売というのは因果なものだ。客をコンテンツに食いつかせる重要な要素であると同時に、食いつきが良すぎて引き剥がせなくなってしまうリスクも孕んでいる。主人公に正ヒロイン候補が複数人いる形式の恋愛モノを想定してもらいたい。こういった作品は、各ヒロインが様々な駆け引きを繰り広げるものの最終的には必ず一人だけが主人公に選ばれて大団円を迎える。(対象年齢が高い作品やWeb小説などでは重婚やハーレムに発展する場合もあるが、本旨に沿わないため例外とする)少なくとも作品世界においてこれは主人公の選択とみなされるが、メタ的な視点に立てば作者の意思に他ならない。では、唯一の正ヒロインは本当に作者の胸先三寸だけで決定しているのか、といえば、必ずしもそうとは言えない。