どうやら僕にとって絵文字リアクションは過ぎた代物でしかなかったらしい。もうすぐそれが通用しない場所に出戻ってしまうけれど、かつて僕の投稿を可愛いアイコンで彩ってくれた人々に感謝の意を表したい。なにしろこれから絵文字リアクションをぶっ叩く持論を展開するので、まずそう言っておかなければならない。AP実装で初めて絵文字リアクションに触れた場所は言わずもがな、Misskeyの旗艦インスタンスであるmisskey.ioだった。当時、絵文字リアクションがもたらす広範な表現様式に魅了されたのは確かであったし、ioのデータ消失事件をきっかけに移住を余儀なくされた後も「絵文字リアクション対応」は僕の中で常に一定のプライオリティを保っていた。
通学路の道すがら、通りかかる交番にはショットガンが架けられている。大人が三人も入ったらぎゅうぎゅう詰めになりそうな手狭な空間の中で、それはいっそう神々しい異彩を放って僕を釘付けにした。まるで御神体みたいだと思った。「熊が出るからな」と言葉少なめに言うのは僕の兄だ。長老みたいなお爺さんと入れ替わりに兄が警察官になったのが十年前で、僕がショットガンに惹かれたのも同じ頃だった。「じゃあ兄いは熊が出たらこれを使うの?」と前のめりに質問すると彼はやや間をおいて、やはり手短に「まあな」と認めた。壁に備えつけられた透明な箱に鎮座するショットガンは、アクション映画に出てくるものとそっくりに見えた。これで撃たれたらひとたまりもなさそうなのは当時でもなんとなく想像がついた。学校でも、家でも、近所でも、大人は口々に「山さ入ったら死ぬぞ」と僕を脅した。この村ではどんな子供も熊の存在に脅かされて育つ。『行くなと言われて行った子、みーんな死んだ』という題名の絵本も発行されていて、どの家にも人数分置かれている。悪事を働いた際の殺し文句はもちろん「熊に食わせる」だ。毎日、登校するたび僕は「御神体」に祈りを捧げた。熊が人里に現れた時には、これが僕たちを守ってくれる。兄が朝の巡回で交番を空けるこの時間、誰もいない直方体の家屋の奥に佇むショットガンはいよいよ超然としてきて、あたかも交番が聖なる祠と化したかのように感じられた。
数ある「ざまあ」系の中でも、ツンデレヒロインに対する「ざまあ」を見た際には相当な激情を覚えた。要するに、物語上でしばしば主要な立場を占める横暴な彼女らに冷や水を浴びせてやろうという趣向だ。率直に言って、なんてひどいことをするんだと思った。この手の話では優しく健気な女神のごとき真ヒロインがツンデレヒロインに取って代わる。そうして主人公は彼女らに三行半を突きつけ、さしものツンデレキャラも過去の行いを反省するがもう遅い、といった顛末で物語は幕を閉じる。ひどい、ひどすぎる、あんまりだ。分かった、じゃあ僕がそのツンデレとよろしくやろう、などとモニター越しに絶叫してみるものの、当の彼女らが愛しているのは他ならぬ主人公なのだった。
先日、立てこもり殺人事件が発生した。 4名の死者のうち2名は猟銃で射殺されている。めったにない凶悪犯罪だが、猟銃を所持している点から世捨て人の犯行とは考えにくい。安定した社会的身分でなければ所有の許可が下りないからだ。事実、蓋を開けてみると犯人は市議会議長の息子だという。さて、市議会議員は国政と比べるといささか印象の薄さは否めないとはいえれっきとした政治家である。政治家の息子が巻き起こすスキャンダルには大小あれど、今回の件はこれ以上ない大事件と言える。大方の予想通り、市議会議長は議員辞職を余儀なくされることとなった。はて、おかしい話だ。我々は個人主義の発達した先進社会に生きているのではなかったか?