なぜ”そこそこ”なのかというと、とてつもなく賢すぎる存在は我々には想像できないからだ。せいぜい、人類の中でとびきり賢い個体が、その宇宙人にとっては普通、くらいの基準でなければ扱いきれない。少なくとも実在しうる範疇なら、当人の言動をもとにある程度のシミュレーションが行える。姿かたちも我々と似通っていなければ困る。手足が8本あって思念で通じ合えるとか、超合金の肉体を持っているとかだと、たとえ高知能であっても文明が発達しない懸念がある。文明は不足を補うために発達する。凍傷も日焼けも怪我も負わないなら被服は最低限で構わないし、めったに飢え死にしないなら食糧を備蓄する必要も、奪い合う理由もない。当然、外敵の侵入を防ぐ頑丈な柵や堀も不要となる。大集団で暮らす利点も大してない。
まもなく衆議院選挙が幕を開ける。高い内閣支持率を武器に与党過半数を狙う自民党に対して、野に下った公明党と立憲民主党が繰り出した秘策は、まさかの新党結成であった。聞けば総裁選の頃にはすでに内々で準備を進めていたと言う。選挙直前の新党結成といえば希望の党の一件が記憶に新しく、古い方を歴史資料から掘り起こすなら新進党が思い浮かぶ。どちらも野党にとってひどく苦い経験だったのは議論を俟たない。新党 「中道改革連合」 (以下、中道)は、少なくとも希望の党の二の舞は避けたいと考えているらしく、表向きは『原発再稼働容認』、『安保法制容認』というかなり厳しい条件を立憲民主党に突きつけた一方で、実際には来る者拒まずの姿勢で参加を受け入れている。 「排除します」 の一言で風向きがひっくり返ってしまったあの一件は、しかと各々の胸中に刻み込まれているようだ。
創作においてはなにを描くかということと同じくらいなにを描かないのかも重要だ。節操なく要素を詰め込んでいくと太い幹として通したい真のテーマ性が損なわれ、あちこちに散らばって生えた枝葉に栄養を奪われ尽くし、いかにも貧相な見てくれの木々が出来上がる。これは少し角度を変えると商業的な動機でも成り立つ。ある要素を取り入れるとそれに親和的な客層に好印象を持ってもらえるが、同時に他の客層には反感を抱かれる。ならばと広く客層を取り込もうといたずらに要素を散りばめると、かえって誰にとってもやや不快な、いわゆる「ノイズ」まみれの作品に堕してしまう。要素は増やすよりは減らす方が容易い。
ナンバリングはもう忘れてくれて構わない。夏真っ盛りの今だからこそ着たい服装はやはり半袖のポロシャツである。僕は夏が来るたびに持っていない色のものを新しく買う。微妙に色合いの違うピンクだけで半ダースくらいのバリエーションが箪笥に唸っている。鹿の子よりニットポロの方が好きだ。ポロシャツという出自からしてスポーティな服装がニットだと一気に都会的な雰囲気になる。最近はMOONCASTLE がアツい。大阪のニットブランドで作りがとても良い。