点と接線

#essay

僕たちはもう帝国軍じゃないか

旧体制の旗が焼かれたのはいつのことだっただろうか? 僕が中学生に上がる頃(2006年)にはすでに半ば新憲法の理念が行き届いていたので、革命前夜はそれより少し前だ。思えば新世紀を境にADSLが普及しはじめたのは大きかった。高速なインターネット回線が革命を成就させたのだ。 そう考えると僕は革命に加わる苦労なく恩恵を享受した最初の世代とも言えるわけで、実際かなり牧歌的な生活を謳歌できた。噂に聞く革命以前のようにこそこそ隠れてやり取りなんてしないし、あけっぴろげに会話していてもマッチョ官憲に引っ立てられる恐れはない。

アンチフェミは結局どうなりたいんだ

名前を出すのも億劫なあの人とかあの人とかが台頭してきた時、ああ、マスキュリズム の一派なんだなと僕は能天気に捉えていた。確かに男というだけで苦役が課されるのは理不尽だし、男性差別のみならず女性差別的ですらある。「男なんだからやれよ」は裏を返せば「女にはどうせできないでしょ」だ。そんな過去を反省してか、いくつかの国では男女ともに徴兵を課すようになった。本当は徴兵制自体をなくしてほしいが情勢的にはそうもいかないのだろう。

分散できないのはどう考えても僕たちが悪い

2016年にMastodonってのが出た。なんでも自由にサーバを建てられるから巨大資本に言論統制されないらしい。ちょうど真新しさに飢えていた人々はさっそくこれに群がった。かくいう僕もその一人だ。学生が建てたサーバがパンクして企業が支援を申し出たり、政治家がお忍びでアカウントを作ったりなんかして、しばらくお祭り騒ぎになった。 しかし分散型SNSが負の側面を露呈せしめるのは割と早かった。自由にサーバを建てられると言っても結局、ほとんどのユーザは人がたくさんいる場所、安定していそうな場所に行きたがる。やがてインフラコストに耐えられなくなった運営者は次々とサーバを手放し、安住の地から放逐されたユーザたちはそそくさと古巣に戻っていった。第一次Mastodonブームの終焉である。以降、Twitterがなにかやらかすたびに分散型SNSは潮の満ち引きを繰り返してきた。

レスバ欲に抗う

赤の他人に議論を持ちかけてまともに成立することはまずありえない。理想形の議論を完遂させるには相手との信頼関係が必要不可欠だからだ。あけすけな言い方をすれば、友好を損ねたくない後ろめたさこそが議論を成り立たせていると言える。むろん、赤の他人相手にそんな余地は存在しない。 ましてや議論をふっかけてくる赤の他人はただの赤の他人でさえない。初っ端から意見が対立している。つまり敵だ。エネミーだ。好感度はゼロじゃない。マイナスからのスタートだ。そんな相手と取っ組み合ってなにかが得られると勘違いしてしまったのがインターネットの罪悪であり、レスバ戦士どもの夢の跡というわけだ。